日本の外壁を変える-vol.01

2001年、今まで見たことも聞いたこともない外壁と運命の出会いをしました。

外断熱で、しかも塗り壁。ドイツ生まれのアメリカ育ち。ディズニーランドでも使われていて、どんなデザインでも自由自在。まさに、夢のような外壁です。

そのときは、その後に訪れる人生最大の試練のことなど想像さえしていませんでした。

塗壁の時代到来

平成12年、西暦2000年のことです。浜松のお客様から「外壁を南欧風の塗り壁にしたい。」との要望をお受けしました。しかし、どうしても快く返事ができない自分がいました。

というのも、当時の塗り壁は、アラシと呼ばれているスノコ状の下地に防水紙を貼り、その上からラス網と呼ばれている金網をホッチキスのようなタッカーで留めつけ、これにモルタルを何度か重ね塗りする構造でした。塗り壁は修業時代から多数こなしていたのですが、実際に施工していて割れやすく、しかも、地震のときには、ドサッと全体が剥がれ落ちる危険が指摘されていました。湿気を排水する通気層もなく、もちろん外断熱でもありません。いろいろ知ってしまった今、いくらデザインが良いからと言っても自信を持ってお勧めできる工法ではありませんでした。

思案した結果、自分なりに工夫して「外断熱」で「塗り壁」の構造を考えてみようという結論に至りました。そして、何度も図面を書き直し、まず外断熱で施工して、その上に通気層を設けて、さらにモルタルの塗り壁を施工するという構造で施工しました。施工は思いのほかうまくいきましたが、いわば二重に外壁をつくったわけですから、コストも倍掛かってしまいました。もちろん、お施主様に請求するわけにもいかず経費は自分持ちとなりました。

仕上がった塗り壁の外観は、青空に映えてとてもきれいでした。苦労した分だけ、余計にきれいに見えたのかもしれません。私もサイディングによるデザインの限界を感じていたので、「外断熱」で「塗り壁」の家をつくれたことに満足していました。

EIFS(外断熱塗壁工法)との出会い

そんな話が人づてに伝わったのかもしれません。翌年、とある建材会社の営業ウーマンから「面白い外壁があるから是非見てもらいたい。斎藤社長ならこの壁の良さが分かるから。」と電話をもらいました。彼女は20代でニュージーランド人の大工さんをご主人に持つとてもユニークな女性でした。

すぐに、彼女がサンプル片手に事務所に現れました。
「こんな外壁があるのか!」
「あんなに苦労した外断熱の塗り壁がこんなに簡単に出来ちゃうの?」
「おまけにデザインも自由なんて!」
後にも先にも、建材との出会いでこんなにも感動したことはありません。アメリカでは『外断熱塗壁工法』Exterior insulation and finishing system (EIFS)と呼ばれているとのことでした。

早速、計画中のお客様に事情を説明して試験的に採用しました。思った通り、サイディングなど足元にも及ばないかっこいいデザインの家ができあがりました。

とにかくデザインが自由で設計していて楽しい。サイディングと同じ価格まで値引きするからとお願いすると、お客様もデザインに惹かれたのか私の熱意に押されたのか分かりませんが、次々と契約していただきました。

 防火認定という壁

しかし、ここで大問題が発覚しました。この『外断熱塗壁工法』は国土交通省の防火認定を取得してなかったのです。(防火認定されていない外壁は使用に一定の制限を受けるため、国内の外壁メーカーは防火認定を取得してから販売を開始するのが一般的。)輸入元に問い合わせても返事はのらりくらり。防火認定のための試験には1千万円近い費用が掛かるため、まだ売れるかどうかも分からない外壁のために費用が掛けられなかったのでしょう。

せっかく夢のような外壁が目の前にあるのに、防火認定が障壁になって、このままでは使えない。どうしようか?また、元の外壁に戻るしかないのか?

実はもとの構造に戻りたくない理由がありました。当時の外断熱工法では、建物の外側に断熱材を施し、その外に胴縁で通気層を設け、さらにその外側に重いサイディングを留めつけていました。そして、外断熱工法の普及とともに、このサイディングが自重で垂れやすいことが指摘され始めていたのです。『外断熱塗壁工法』はこの点も解決しており、外装自体がサイディングに比べて3分の1から5分の1と軽く、垂れを防止するとともに耐震性も向上していました。

 

創業してはじめての大きな経営判断をする時期が近づいていました。

斎藤元志

投稿者: 斎藤元志 創業者

ウィングホーム株式会社の創業者であり、現代表。自らを「断熱バカ」だと揶揄する一面も。 スタッフ紹介

  • 注文住宅レポート
  • 完成見学会・イベント情報