日本の外壁を変える-vol.02

決断のとき

この新しい外壁は確かに良い。でも、防火認定を取得する予定がないのならこれ以上使えない。

迷いの中で、袋井のお客様との出会いがありました。「外階段を付けたいのだけど、どうしてもアパートのような外観になってしまい、住宅会社を決めかねている。」とのことでした。
「うちで扱っている『外断熱塗壁工法』なら、こんな風にデザインすることも可能ですよ。」と図面をお出ししたら、感動して契約してくれたのです。

「この壁なら、どんなお客様のご要望にも応えられる!この夢のような外壁にかけてみよう。日本には私のように、こんな外壁を待ち望んでいる設計士はたくさんいるはずだ!」

またも、少年のように心が熱くなりました。

全てがトントン拍子に

「自力で防火認定をとろう!そして、日本全国に向けて販売しよう。どうせなら、海外のトップメーカーの日本の代理店になろう。日本の外壁を変えるんだ! 」そう決心して、世界中のEIFSメーカーにコンタクトをとりました。

といっても、英語のできるアルバイトを雇って、インターネットを頼ってメールを送るという手探り状態でした。そのことをお世話になっているアルミホイールメーカーの社長さんにお話ししたら、ロスアンゼルス在住の日本人N氏を紹介してくれました。

ここで奇跡の偶然が起こりました。すぐにN氏から電話があって、「私の家のすぐ近くにオメガというEIFSのトップメーカーがある。話をしたら会いたいと言っている。」とのことでした。すぐに飛んで行きました。

そこからは話がトントン拍子に進み、平成15年(2003年)にオメガジャパン(株)を設立。
大金をかけて勝負した防火試験には見事合格。

二人の社員を雇い、日本向けに改良を重ね、『アクロフレックス』という商品名で日本全国に売り込みをかけました。反響は凄まじく、とにかく一度説明に来てほしいという引き合いが全国から相次ぎました。

当時、ウィングホームも順調に業績を伸ばしており、3人のスタッフは私の分身のように育ってくれていたので、私の全ての時間をアクロフレックスの普及のためにつぎ込んで全国を駆け巡ることができました。

人生初の落とし穴

しかし、ここに大きな落とし穴があったのです。当時はサイディングの全盛期であり、「外断熱」も「塗り壁」も先を行きすぎていたのかもしれません。いくら良いものだといっても、コストアップになることも致命的でした。結果として、多くの住宅会社が説明だけ聞いて、採用は未定という事態に陥りました。

つまり、出費はすれども回収できないということです。担当社員は事情を察して辞めていったのですが、今でも非常に辛い記憶です。田舎侍が調子にのって江戸を目指したけど、初めて経験する現実にボロボロになって田舎に退散した。こんなイメージでした。

しかし、私にはウィングホームがある!1年ぶりに本来の仕事に向き合ったとき、またも恐ろしい現実を知りました。本来なら契約できているはずのお客様が次々と他社さんに流れてしまってい、とうとう仕事が途絶えてしまいました。営業を仕掛けようと思っても、1年間音沙汰がなかったわけですから、行き先もありませんでした。

仕事が途切れるのは初めての経験でした。どう対処したらよいか分からず、眠れぬ夜を過ごしました。どうしたら乗り越えられるのか?なぜ、今まで仕事があって、なぜ仕事がなくなったのか?自問自答を繰り返しました。

創業以来、ずっと順調だったため何も考えずに突き進んできた自分の甘さを知りました。まさに、薄氷の上を歩いていたのだと、商売の恐ろしさも知りました。

41歳のときのことです。

転換期

何かしなくちゃいけないことは分かっているけど、何をしたらいいのか分からない。

何もアイディアがわかない自分に情けなさと苛立ちを感じながらも「考えろ!考えろ!」と繰り返し言い聞かせていました。

そして、4週間目の朝、なぜか腹が据わっている自分がいました。「創業したときから地元に助けてもらってきた。もう一度、地元に助けてもらおう。」実際に地元の知り合いを頼って頭を下げてまわってみると、嬉しいことに次々と仕事をいただくことができ、翌年からは急激に業績が回復したのです。

とは言っても、実際に元の軌道に戻すには4年の歳月がかかりました。苦しい時期ではありましたが、今思うと、社長のマンパワーからスタッフ全員のチームワークで仕事ができる会社への転換期でもありました。

斎藤元志

投稿者: 斎藤元志 創業者

ウィングホーム株式会社の創業者であり、現代表。自らを「断熱バカ」だと揶揄する一面も。 スタッフ紹介

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